仙台高等裁判所 昭和46年(ネ)190号 判決 1971年11月10日
控訴人 甲野一郎
右訴訟代理人弁護士 神谷春雄
被控訴人 乙村花子
主文
原判決中控訴人敗訴部分を取消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、主文と同旨の判決を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述および証拠関係は、控訴代理人において、当審における控訴人本人尋問の結果を援用したほかは、原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。(但し、原判決六枚目表九行目上段に「証人大場秀春」とあるのは「大湯秀春」の誤記と認められるから、そのように訂正する。)
当裁判所は職権で被控訴人本人を尋問した。
理由
一、被控訴人は昭和三四年三月○○音楽短期大学を卒業後、青森県○○○市立○○中学校、同県○○○町立○○○小、中学校、○○市立○○中学校の教諭を歴任した上、昭和三九年六月退職し、爾来○○市大字○○○○○××番地にピアノ教室を開き、ピアノ教師をしていたものであることは当事者間に争がなく、≪証拠省略≫を綜合すれば、被控訴人は昭和一二年七月一三日生れで、昭和四〇年頃においてピアノ教師による収入は一ヶ月金一三万円を下らなかったこと、控訴人は昭和八年一月二〇日生れで、尋常高等小学校卒業後、家業の農業の手伝、土方などをした末、昭和三二年九月頃から○○市営バスの運転手として勤務していたもので、同年、妻一子(昭和九年一一月一五日生)と結婚し(同年一二月三日届出)、一子との間に長女初子(昭和三三年二月七日生)、次女次子(昭和三五年一月九日生)の二子を儲け、一ヶ月約四万五、〇〇〇円(本給約三万円、時間外手当約一万五、〇〇〇円)の収入を得て妻子三人とともに肩書住所において生活していたものであることが認められる。
二、被控訴人は、前記○○中学校に勤務していた昭和三八年一〇月、同校の秋のリクレエーションで十和田湖に旅行した際、たまたま被控訴人の引卒するクラスが控訴人運転の○○市営バスに乗ったことから控訴人を知るに至り、その後、控訴人の運転する○○市営バスに乗り合せた際には控訴人と挨拶を交わすようになったところ、昭和三九年一一月、バス運転中の控訴人から「来週の火曜日の夜七時にジュネーブに来て下さい。」と言われ、約束の日時に○○市内の喫茶店ジュネーブで控訴人と会ったこと、爾来被控訴人と控訴人との交際が始まり、間もなく両者間に肉体関係を結ぶに至ったことは、当事者間に争がない。
三、しかして、≪証拠省略≫を綜合すれば、次の各事実を認めるに足る。すなわち、
(1)、被控訴人と控訴人とが前記喫茶店ジュネーブで会ったのは昭和三九年一一月末頃であったが、その際、控訴人は被控訴人に対し、「自分は○○市交通部の寮にいるが、実家は○○市○○にある。あなたが好きだから交際して欲しい。」旨申し向けたところ、被控訴人において即座に承諾し、被控訴人と控訴人とは交際を始めるに至った。
(2)、被控訴人は前記喫茶店で控訴人と会ってから一週間後に、控訴人から誘われて○○市内の連れ込み旅館に一泊して控訴人と肉体関係を結んだが、その約一週間後に控訴人に妻子のあることを知り、控訴人に聞き訊したところ、控訴人において妻とは離婚するばかりになっている旨答えたので、控訴人の言を軽信し、控訴人に妻子があっても離婚するのであれば良いであろうと考え、事の真偽を調べることなく、その後も肉体関係を結び、昭和四〇年二月頃から昭和四二年一二月末頃に至るまでの間、被控訴人方(前記ピアノ教室)において控訴人と同棲生活を続けた。
(3)、控訴人は妻子三人と世間並みの家庭生活を営み、二人の子供があるところから夫婦間の性関係に多少問題があったにせよ、夫婦生活にはさしたる波瀾もない状態にあったもので、もとより妻との間に離婚の問題などの悶着が起ったことはないばかりか、被控訴人との交際が始ってからも、妻と離婚する意思は毛頭なく、また被控訴人と同棲するに至った後でも、一月のうち約一五日位は妻の許に帰っており、給料のうち本給は妻に手渡していた。
(4)、控訴人の妻一子は、控訴人と被控訴人が同棲を始めてから約半月後に控訴人が被控訴人と前示の如き関係があることを知り、その頃被控訴人方に赴き、「子供もあることだから控訴人と手を切って貰いたい。」旨被控訴人に懇願したほか、昭和四一年頃までの間数回に亘り、時には子供を連れ立って被控訴人方に出向いて前同様懇願したが、被控訴人はその都度一子に対し、「それ程心配なら紐でも付けて縛っておけ、やかましい聞きたくない。」、或は「恋愛は自由ではないか、好きでやっているのだから妻子でも口出しすべきでない。あなたに何も言われる筋合ではない。」などと申し向け、一子の懇願を聞き入れようとはしなかった。また訴外大湯秀春は一子に頼まれ昭和四〇年夏頃三回に亘り被控訴人に対し控訴人との関係を清算するよう説得したが、被控訴人は「あなたは第三者だから文句を言わないでくれ。」などと言って取り合わなかった。
(5)、被控訴人は○○市大字○○○○○××番地に一戸を借り受けて、そこに単身で寝泊りして前示のとおりピアノ教室を開いていたのであるが、被控訴人の実家は右ピアノ教室より一二〇メートル位の所にあって、実家には被控訴人の母が住んでおり、また○○市内には被控訴人の兄も住んでいたのであるけれども、被控訴人は母や兄と相談することなく控訴人と同棲を始め、同棲後においても母や兄にそのことを知らせなかった。昭和四二年初夏の頃控訴人の妻一子が被控訴人の母に控訴人と被控訴人とを別れさせて貰いたい旨懇願するに及び、被控訴人の母および兄は始めて被控訴人と控訴人とが同棲中であることを知るに至った。
(6)、被控訴人は、妻とは離婚して被控訴人と結婚するとの控訴人の言葉に、晴れて夫婦になれるものと信じて控訴人との同棲生活を続けていたが、同棲生活のためかなりの出費を余儀なくされたのみならず、次第に控訴人との同棲生活に嫌悪の念を抱くに至り、このまま控訴人との関係を継続するにおいては自己を傷つけるばかりか出世の妨げになると考え、控訴人との関係を清算し音楽の勉強をし直して作曲家になることを決心し、昭和四三年一月中旬頃控訴人に別を告げて上京した。
≪証拠判断省略≫
四 そこで、右の認定事実に基づいて控訴人に婚姻予約の不当破毀もしくは貞操侵害に基づく不法行為上の責があるかどうかについて判断する。
被控訴人と控訴人とは昭和四〇年二月頃から昭和四二年一二月末頃までの間、事実上の夫婦関係にあったものであるが、被控訴人は控訴人に妻子のあることを知りながら右の如き関係を結んだものであるのみならず、当時控訴人とその妻との婚姻関係が事実上の離婚状態にあったものではないから、被控訴人と控訴人の右関係は公序良俗に反するものとして法律上の保護を受け得ざるものといわなければならない。したがって、右の如き公序良俗に反する関係が、たとえ控訴人の恣意に基づいて破毀せらるに至ったとしても、これをもって婚姻予約の不当な破毀であるとして控訴人に不法行為上の責ありとなすことはできないものというべきである。
次に、控訴人は妻子のあることを秘し、あたかも独身であるかの如く詐って被控訴人と肉体関係を結び、妻子のあることが露見するや、妻とは離婚するばかりになっている旨申し欺いて右の関係を継続し、妻と離婚して正式に婚姻するとの詐言を用いて被控訴人をして控訴人が妻と離婚した暁には控訴人と正式な婚姻ができるものと誤信せしめて昭和四〇年二月頃から昭和四二年一二月末頃まで被控訴人と同棲生活を続けたのであるから、控訴人は被控訴人を欺いてその貞操を弄んだという誹を免れ得ない。しかしながら、被控訴人は○○音楽短期大学卒業後五年余に亘り小、中学校の教諭を歴任し、控訴人と交際を始めた当時、すでに満二七歳に達していたのであるから、思慮分別のいまだ熟せざる女性であったとは認めがたく、右のような学歴と経歴の被控訴人が交際後僅かに一週間にして控訴人と肉体関係を結ぶに至ったことは、控訴人の詐言により控訴人が独身であり結婚できるものと誤信したことによるにせよ、極めて軽卒な行動であったといわざるを得ない。しかも被控訴人が控訴人に妻子のあることを知った後においても、控訴人夫婦の関係が控訴人のいうような離婚寸前の状態にあるかどうかを確かめることなく肉体関係を続けた上同棲生活に入り、控訴人の妻からの再三に亘る懇願にも拘わらず控訴人との同棲生活を続けたことは、被控訴人が性的享楽の対象を控訴人に求めていたものと評価せられても、あながち酷に失するといいがたいものと認め得られないではない。前記一、二において認定判示した被控訴人および控訴人の年令、学歴、経歴、被控訴人と控訴人とが情交関係を結ぶに至った動機とその後の経過事情、控訴人の用いた詐言の内容程度、控訴人の妻が再三に亘って被控訴人に対し控訴人との関係を断つよう懇願したのに被控訴人において聞き入れなかった等の諸事情を考慮勘案するときは、被控訴人が控訴人と情交関係を結んだのは、被控訴人において控訴人の詐言を信じたことに因るものではあるが、右情交関係誘起の責任が主として控訴人側にのみあったものとは断定しがたいのみならず、情交関係継続についての被控訴人の反倫理的不法性に比し、控訴人側における違法性が著しく大であったものと認めることはできない。被控訴人と控訴人の情交関係が右の如きものであった以上、被控訴人の貞操侵害を理由とする慰藉料の請求は、結局自己に存する不法の原因によって生じた損害の賠償を請求するものであって、民法第七〇八条の法の精神に反するものとして許されないものといわなければならない。
五、よって、被控訴人の本訴請求はすべて失当としてこれを棄却すべきものであるところ、右と一部結論を異にし被控訴人の請求の一部を認容した原判決は失当であり、右部分の取消を求める控訴人の本件控訴は理由があるので、民事訴訟法第三八六条に従い原判決中被控訴人の請求を認容した部分を取消し、該部分の被控訴人の請求を棄却することとし、第一、二審の訴訟費用の負担につき同法第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 兼築義春 裁判官 井田友吉 桜井敏雄)